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web武将名鑑:その7~織田信長の一門衆1~

web武将名鑑その7です。今回から、織田信長の一門について紹介していきます。まずは、織田信長の子どもからです。

生没年:1550年~1608年

生前最終官位:従三位 左近衛中将

出身地:尾張(愛知県)

系譜:織田氏

幼名:奇妙丸

仮名:勘九郎

織田信長から見て:息子(長男)

おだのぶなが から かとくを ゆずられ おだけ ほんごくの おわりと みのを ゆずられた。そうだいしょうとして ぶかを つかいながら たけだけを ほろぼした。ほんのうじのへんで いのちを おとしたが いきのこっていれば とよとみひでよしの てんかは なかっただろう。

生没年:1558年~1630年

生前最終官位:正二位 内大臣 伊勢国

出身地:尾張(愛知県)

系譜:織田氏→北畠氏→織田氏

幼名:茶筅

仮名:三介

織田信長から見て:息子(次男)

かってに りんごくの いがに せめこんで たいはいし ちちの おだのぶながを おこらせた ことがある。ほんのうじのへんの あと とよとみひでよしの いきおいを ふせぎ きれなかった。おおさかのじんごは とくがわいえやすに ごまんごく りょうちを あたえられた。

生没年:1558年~1583年

生前最終官位:従五位下 侍従

出身地:尾張(愛知県)

系譜:織田氏 → 神戸氏→織田氏

仮名:三七郎

織田信長から見て:息子(三男)

じゅんちょうに こうせきを かさね しこくえんせいの しきかんに しゅうにんした。しかし しゅっぺいの ちょくぜんに ほんのうじのへんが おきた。せんおうを すうすめる とよとみひでよしに はんきを ひるがえすも やぶれて じがいさせられた。

生没年:1569年~1586年

生前最終官位:正三位 権中納言

系譜:織田氏羽柴氏

幼名:於次丸

織田信長から見て:息子(四男)

ながしののたたかいの つぎの としに はしばひでよしの ようしに なった。はしばけ あんたいの ためだったと いわれている。とよとみひでよしが かんぱくに なった としに びょうきに より なくなった。