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web武将名鑑:その8~織田信長の一門衆2~

web武将名鑑その8です。織田信長の一門について紹介しています。今回も織田信長の息子たちですが、ひとつ注意があります。

実は、織田信長の息子に関しては、六男以下わかっていないことが多いです。さらに、四男の秀勝と五男の信房に関しては、長幼が逆の可能性があるとも言われています。

これは、織田信長が生きていた頃には、六男以下の息子達が幼かったことと、長男から三男のように優遇されなかったことが原因です。

織田信房

生没年:?~1582年

系譜:織田氏

幼名:御坊丸

仮名:源三郎

織田信長から見て:息子(五男)

おだけ はいかの とおやましの ようしにだされたが とおやましが だけだけに ねがえり ひとじちと なった。そのご たけだけから おだけに おくりかえされた。たけだぜめで てがらを あげ おだのぶただを ささえる ゆうりょくな しんぞくとなったが ほんのうじのへんで しぼうした。

生没年:?~?

生前最終官位:従四位下 侍従

系譜:織田氏

幼名:御洞

仮名:三吉

織田信長から見て:息子(六男)

きりすときょうに かいしゅうした きりしたんだいみょう。ちょうせんしゅっぺいでは ひぜんまで さんびゃくにんを ひきいて おもむいたが じっさいに ちょうせんには わたらなかった。ちょうせんしゅっぺいの としに はんせんびょうで なくなった。

生没年:1576年~1603年

生前最終官位:従五位下 左衛門佐

出身地:尾張(愛知県)

系譜:織田氏

幼名:小洞

仮名:藤十郎

織田信長から見て:息子(七男)

せかいがはらのたたかいでは たたかいに さんか しなかったが がいせんする とくがわいえやすに めんかいし りょうちを あんどされた。しそんは はたもととして とくがわけに つかえた。

生没年:1573年~1615年

生前最終官位:従五位下 武蔵守

系譜:織田氏

幼名:酌or長丸

織田信長から見て:息子(八男)

せきがはらのたたかいでは せいぐんに ぞくした。そのため たたかいごに りょうちを ぼっしゅうされ とよとみけを たよりに おおさかで くらした。おおさか なつのじん まえに なくなった。